- Key Moments -
創業までの道のり
1994 - 三重県鈴鹿市で生まれ育つ
三重県鈴鹿市で生まれ育ち、10歳からテニスをはじめる。小学校から中学まで、テニスが好きで打ち込むが、試合にはなかなか勝てず、葛藤する日々を過ごした。高校は、地元から少し遠い四日市西高等学校に入学。高校でもテニスを頑張ってみたが思った戦績が出ず、同時期にテニスをはじめた友人を羨望のまなざしでただ見つめるばかりであった。戦績が出ない自分に嫌気がさしていたが、身体を動かすことやスポーツが好きだったこともあり、体育・スポーツ科学を学べる大学に進学することを決意。
2012 - 大阪体育大学へ進学
大阪体育大学体育学部に入学。高校、大学の先輩からの紹介もあり、体育会系テニス部に入部する。トレーニングやリハビリをするトレーナーに憧れていたこともあり、選手としてではなく、学生トレーナーとして活動することを決めた。テニスを中心にトレーニングやアスレティックリハビリテーションについて学び、現場での活動を経験した。在学中、前十字靭帯損傷メカニズムに著名な研究者の授業を聞き、科学の奥深さや自分の無知を思い知らされる。このままではトレーナーになれないと感じ、大学2年時に大学院に進学することを決めた。
2016 - 大阪体育大学大学院へ進学
卒業後、同大学大学院に進学。大学院では、トレーニング科学だけでなくテニスのことをもっと知りたいと思い、テニスに関する研究をはじめる。研究者になる勉強をしながら、テニス部のトレーナーを続けていると、民間テニススクールのジュニアアスリートを指導してほしいと依頼を受け、ジュニアアスリートの指導を受け持つこととなった。研究現場と指導現場の両者を経験し、テニスの指導現場に研究的な考え方や知見を共有することの重要性を実感。研究者と実践者それぞれの立場を深く理解し、両者の懸け橋になる存在が少ないという課題があることを認識した。
そんなことを感じながら、日々活動していると、ゼミの大先輩で大学職員の方(恩師)から「来年、大学に新しい部署ができるから就職しないか?」とオファーをいただき、二つ返事で就職。
2018- 大阪体育大学スポーツ局へ就職
大学院修了後、同大学で新しく設置されたスポーツ局という部署に就職。スポーツ局では、スポーツ情報戦略・測定評価を担当し、大学アスリートに対するスポーツ医科学サポート、総合的な体力パフォーマンスの測定・評価を実施してきた。また、運動部活動改革について、テニスを中心に附属中学・高校と協力関係を築き、大学で得られた研究成果をスポーツ現場に還元し、スポーツ指導者育成や中学・高校の運動部活動サポートシステムを構築してきた。アスリートサポートの他に、テニス国際大会「富士薬品セイムスウィメンズカップ」の開催や企業との共同研究、スポーツ庁委託事業「女性アスリートの戦略的強化に向けた調査研究」に携わり、アスリートサポート、イベント運営、研究活動などスポーツに関する様々な領域を経験。
また、スポーツ局での活動と並行して、関西テニス協会委員等の社会貢献活動、大学非常勤講師や大学テニス部、大学バレーボール部、ジュニアアスリートのトレーニング指導を続け、様々な経験を積んできた。
当時、所属していた大阪体育大学と大阪大学大学院医学系研究科が連携し「スポーツ研究イノベーション拠点形成プロジェクト(SRIP)」を進めており、参画していた。そこから大阪大学からテニスの健康に関する研究プロジェクトを進めるために人材が欲しいとオファーをいただき、こちらも二つ返事で大阪大学に就職することを決め、9年間お世話になった大阪体育大学を離れることになった。
2021 - 大阪大学大学院医学系研究科へ転職
大阪大学大学院医学系研究科健康スポーツ科学講座スポーツ医学教室で特任研究員として、企業との共同研究や総務省、スポーツ庁からの受託研究を業務として行ってきた。大阪大学では、主にテニスの研究に従事。メインの研究はテニススクールに通う一般の方々を対象に日常生活やテニスレッスン中の身体活動量に関する調査をし、その成果を学会や研究論文にまとめ、発表してきた。
身体活動という分野を研究してきたことで、運動・スポーツだけでなく、身体不活動による社会問題や日常生活活動、健康や生きがいに興味を抱くようになった。そんな中、日々を過ごしていると山口県萩市でテニススクールを開いている方(詳しくはこちら)と出会い、研究室のメンバーと萩市へ行くことに。当時、山口県萩市は、高齢化率44%という高齢者が多い街で農業や水産業のような一次産業に従事している方が多いことを耳にした。また、大阪大学医学部保健学科で中高齢者の健康について研究されている先生と出会い、多くの中高齢者が健康に過ごし、おいしい食べ物をたべることを生きがいにしているという調査報告を聞くことができた。
大阪大学でたくさんの研究に触れ、様々な方々にお会いし、私が出した結論は、「多くの人たちが行きつく先は、”食と健康” である」ということであった。そこで、食と健康を探求するため、これまでお世話になった大阪大学を退職し、独立することを決めた。
2024 - for AHL 創業
2024年3月末で大阪大学を退職し、翌月4月にfor AHLを創業。これまで継続していたトレーナー業を健康・スポーツ事業としてスタート。現在は、2027年4月から新たにスタートする農業事業に向けて、準備を進めながら、大阪体育大学で非常勤講師、同大学女子テニス部や日本テニス協会富士山委員会全国プロジェクト地域トレセン事業、三重県立四日市商業高校女子テニス部、三重グリーンテニスクラブ、鈴鹿ジュニアテニスチームでトレーニングコーチを務めている。